ふと読み返した書籍からお伝えしたい話をご紹介します。
もっとも根本になることを身につけさせたら、
あとは子どもたちの自主性に最大限委ねることが大切だ。
親切に世話を焼きすぎることは、かえって不親切になる。
主体性をおろそかにされた子どもは、自分の人生を生きることができない。
なんでも人の言いなりになってしまう。
子どもを守ってやったつもりでも、
親はいつまでも子どもを守り続けることはできない。
子ども自身が自分を守る力を身につけさせることが、
子どもを守ることになるのだ。
何から何まで親が口出しして決めていると、
何一つ自分で決断できない人間になる。
助けてやる部分ももちろん必要だが、
自分で判断させ、失敗する経験を早いうちにさせておくことが、
後の大きな失敗を防ぐことになる。
いまの子どもたちの脆弱性(ぜいじゃくせい)は、
守られすぎ、世話を焼かれすぎて、
自分で問題を解決する能力を身につけていないことにある。
自分がやろうと思う以前に、
親の意思や期待が先行し、
本人はただ操り人形のように、
親の意のまま動かされているという状況も多い。
途中まではそれでいけるが、必ずツケが回ってくる。
反抗し、親の言いなりになんかなるもんかと宣言して、
他のことをやりだす子は、まだ見所がある。
ところが、もっと主体性が損なわれてしまうと、
ただ無気力で、何もしたくないという状態に陥ったり、
悪友にそそのかされるままに、陰で悪いことを始める。
一度損なわれた主体性を回復するのは、
とても難しいし、長い時間がかかる。
一年や二年、高校や大学に行くのが遅れようが、
学校なんか行かずに他のことをやりだそうが、
本人がそう決めて自分の意思で行うのなら、
それが最高なのだ。
本人の主体性を無視した人生を強要したりすれば、
十年、二十年を無駄にして、まだ足りないことになる。
「悲しみの子どもたち」岡田 尊司(精神科医、医学博士)(集英社新書)より