本当によいものとの出会いは、人に感動を与えてくれます。
感動を与えるということが、教育の根幹だと思います。
「あ~すばらしいなあ、自分にもこういうものが作れたらいいなあ」と感動し、
一生懸命模倣してみる。
なかなかうまくいかない。
それでもあきらめず、とことん追求していく。
そしてようやく自分の納得のいく作品ができあがり、
自分のスタイルが完成する。
自己満足かもしれないが、ひたすら感動し、
それを人に伝えたいと欲するようになる。
ひとつの感動をきっかけに、それが代々受け継がれていく。
時代を超え、世代を超え、感動を共有していく。
何とすばらしいことでしょう。
子供のときから、
できるだけよい絵画、音楽、陶芸、書、写真には触れさせたいものです。
割って、けがをするといけないからという理由で、
小さいころ与えるお茶碗は、プラスチック製ということが多いものですが、
子供はめったなことで割ったりはしないものです。
だいたいは、大人がガチャガチャやっていて、割ってしまうことがほとんどです。
人が手でこね、焼いた、焼き物のお茶碗を与えるだけでも
本物に触れさせるよい機会だと思います。
それを大切に扱うお父さん、お母さんの姿を子供はしっかり見ています。
そして子供心に「これはとても大切なものなんだ」と、なんとなく分かるものです。
知識の詰め込みに終始し、
子供たちに感動を与える教育を忘れてしまったのが、
現在の教育の問題点ではないかと思います。
どうやって子供たちを感動させるかということに重点を置き、
日々接していくことが重要なのです。
本当に知識や知恵を育むには、まず感動の種まきをすることが必要です。