子どもの遊びを考える


2016/10/2

子どもの遊びを考える

上手に遊べる子が、最近少なくなってきたように思います。

いまの子どもたちが集まると、

今日は、だれのゲームソフトで遊ぶか」を話し合い、

それぞれが好きなソフトを持ち寄って、

人が遊んでいる画面の横で、

じっと自分の順番が来るのを待っている。

人間がつくったプログラムを、

ただなぞるだけの遊びが中心で、

想像力を刺激する遊びが減ってきたように思います。

想像力の欠如は、現代の大きな問題の一つです。

例えばいじめ問題にしても、

いじめる側が、

いじめられる側の気持ちを理解できない。

自殺に追い込んで、初めて、「そんなつもりじゃなかった」と驚く。

現代は感覚の時代と言われますが、

自分の感覚や視点だけでしか、ものごとが考えられない。

さまざまな視点や角度からひとつのものを見つめる目が欠けています。

試験で点を取るための勉強、

「こう聞かれたら、こう答えよ」というデジタルな教育を行ってきた結果ではないでしょうか。

和歌や俳句、四季の移り変わりなど

日本は古来より、アナログ思考の文化です。

一方欧米は、そもそもデジタルな文化です。

ですから教育はアナログ的な面が強い。

「なぜこうなるのか」「どうしてそうなるか」を徹底的に追求し、

思考力、表現力、論理力を養っていきます。決して答えだけでは満足しない。

すぐ答えを聞きたがる子が最近増えていますが、

そうして身につけた学力は、

テストのためだけの学力であり、

本当の学力とはいえません。

そういう子たちは一様にデジタルな遊びにはまります。

学力の高い子は遊び方も上手です。

遊びが勉強の土台です。

しかしその遊びも、想像力と創造力を養う意味ある遊びでなければいけません。

なにも難しくはありません。

コンピュータ・ゲームがなかったころの遊びを思い出してみてください。

これだけデジタルな時代になると、

もしかしたら勉強を教える前に、

上手な遊び方から教えなければならないようになるかもしれませんね。




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